2016年8月31日水曜日

安倍マリオはサプライズだった。

 8月21日夜(日本時間22日朝)、ブラジル、リオデジャネイロ市内のマラカラン競技場でオリンピックの閉会式がおこなわれた。閉会式の一幕で次のオリンピック開催国・開催地である日本の東京にオリンピック旗が引き渡され、君が代の演奏と日の丸がフィールドの上にあらわれた。会場には東京のプロモーションビデオが映し出された。そして、次の東京オリンピックを紹介するショウがおこなわれた。この会場でおこなわれた東京のショウの冒頭で安倍総理大臣の登場とその演出が波紋を呼んだ。テレビなどで閉会式の模様をライブでみていた人も多いことだろう。この安倍総理の登場する演出について、どう感じただろうか。

 波紋を呼んだ演出では、東京からリオデジャネイロ(リオ)にリレーしてボールを届けるというミッションの中、そのミッションを受けた一人として安倍総理が任天堂のゲーム(スーパーマリオブラザーズ)の人気キャラクターのマリオに扮して登場した。安倍総理は、東京からリオに向かうのに急いでいたみたいだ。日本の東京からブラジルのリオまでトンネルを掘って、マリオはリオに向う。そのトンネルに飛び込んだ。そして、リオの閉会式をしている会場では、フィールド中央におかれた土管からマリオが登場する。土管から登場したマリオは衣装の服と帽子を脱ぐと、その人はミッションの赤いボールを運ぶ安倍総理大臣だった。閉会式をしている会場のフィールドでは、東京のショウが繰り広げられる。最後に、「SEE YOU IN TOKYO」という言葉の後、安倍総理から赤いボールは、元オリンピック代表選手で、水泳で活躍したこのリレーの先頭でもあった北島康介さんに手渡された。そして、会場では花火が打ち上げられていた。


 オリンピック・パラリンピックの開会式と閉会式は、近年のオリンピックでは特別の注目がそそがれている。どのような開会式だったか。どのような閉会式だったか。オリンピック・パラリンピックの始まりと終わりを告げる開会式と閉会式は、そこでおこなわれるショウとしての魅力が話題になるためだ。だから、オリンピック・パラリンピックの開催地の主催者は、力いれた開会式と閉会式を準備して、執り行っている。次のオリンピック・パラリンピックの開催国・日本の開催地・東京も、リオでの閉会式のショウを準備し、披露した。

 安倍総理がキャラクターのマリオに扮して登場するという演出は、その是非をめぐり演出を見た者の間を賑わした。

 安倍総理が閉会式の東京オリンピックのショウに登場したということに対する意外性を声にした人がいる。安倍総理がマリオに扮して登場した演出の是非は、この意外性を好意的に評価する意見と、批判的に評価する意見があった。

 安倍総理の扮するマリオに対する批判とは、そのショウに対する批判と安倍総理に対する批判をわけて考える必要がある。そして、オリンピックへの批判と、開催地域ごとにある個別的事情が背景として生じる批判がある。

 例えば、今回のブラジルのリオでオリンピックが開催される直前に、日本のメディアでは、リオの治安に不安があることが報じられていたことを思い出すのもよいだろう。


 では、安倍総理が扮するマリオの演出に批判がおきた背景とはどういったものなのだろうか。



 任天堂のゲームのキャラクターマリオに扮して、東京から、日本の裏側にあたるブラジルのリオデジャネイロにトンネルを掘って、そのトンネルの中に飛び込んで、会場に現れるという演出だった。この演出をみてどんなイメージを抱いただろうか。この演出に対して、メルトスルーをイメージしたり、違和感を感じたという意見がある。

 メルトスルーと重なるようなイメージを持った人の中には、安倍総理の東京電力福島第一原子力発電所関係の発言に批判的な意見を持つ人がいる。2013年ブエノスアイレスでのIOC総会で東京にオリンピックを招致するためにプレゼンをした。そのとき安倍総理は演説をしている。演説の中で、安倍総理が東京電力福島第一原子力発電所の港湾内で汚染水は、「アンダーコントロール」されていると説明したことに関して、事実認識が誤っているという意見がある。そのために齟齬が生じている。
メルトスルーと重なるようなイメージを抱いた人は、安倍総理のIOC総会での演説が念頭にあったのだろう。



 オリンピックは、夏と冬にそれぞれ4年に一度競技大会が開催される。そして、パラリンピックも開催される。オリンピックの開催には、大会をおこなうための費用がかさむようになってきた。2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催では、日本国政府と東京都がその費用を負担することになっている。政府と開催地域がオリンピックの計画には、招致活動から開催が決定して、実際に開催するために、関与が大きくなっている。任意の実行主体がオリンピックを開催したいから自主的に応募して、計画を実行するというわけにはいかないようだ。オリンピックの開催地になりたい地域の長には開催地の長ということから責任や権限があり、そして政府の協力をえながら、共同して責任持って計画して、実行している。そういうこともあり、オリンピックの競技観戦に、政府の要人が姿を現しても驚かないだろう。

 しかし、オリンピック憲章には、オリンピックの政治利用を許さないと定めていることから、今回のリオデジャネイロオリンピックでの安倍総理がゲームのキャラクターのマリオに扮して会場に登場するといった演出が、オリンピックの政治利用にあたるという批判がある。

 ところで、リオデジャネイロオリピックの閉会式には、都知事になったばかりの小池百合子東京都知事がいっている。小池都知事は、オリンピック旗を受けとる役を果たしている。前の都知事は、舛添要一さんである。舛添さんは、在任中に政治資金の公私混同問題が明らかになって、都知事を辞任している。舛添さんが都知事をまだ続けているのであれば、小池都知事ではなく、舛添さんがあの場に姿を現すはずだった。舛添さんの政治資金の公私混同問題が明らかになったのは、4月、5月だった。6月21日付の辞職願を提出したのは、6月15日。東京都知事選の投開票日は7月31日。小池都知事は、7月31日に選ばれたばかりだった。

 小池百合子知事は今月(8月)2日、就任記者会見をしている。その場で、東京オリンピック・パラリンピックの費用の妥当性を検証する調査チームを設置する意向を示している。この調査チームでは、予算の軽重、準備体制、工程表の妥当性ということを第三者の目も借りて検証、チェックしていきたい。そして、東京都と関連省庁の責任分担体制も明確にしていきたいと、表明している。


 報道によると、安倍総理がマリオに扮して登場するという演出のアイデアは、4月ごろまでに固まり、閉会式直前まで、「極秘扱い」で国際オリンピック委員会(IOC)との調整が続いた。(2016年8月28日東京新聞朝刊)

 舛添都知事の在任中にこのアイデアが固まっていたことになる。つまり、舛添都知事が在任中に、安倍総理が人気キャラクターに扮してミッション達成するためにリレーして閉会式をおこなっている会場に登場するというサプライズのアイデアは固まっていたことになる。

 今回、次の東京オリンピックのショウの費用は、リオ・パラリンピックの演出の費用とあわせて、約12億円になることが分かったと報じられている。


 このように安倍マリオ批判がおきた背景を少しおってみた。
 背景を追ってみてみると、マリオというキャラクターが直接メルトスルーというイメージに結びつくわけではないだろう。閉会式に何らかのショウを企画しているとき、なぜマリオを選んだのかというそのアイデアの善し悪しを問題にする必要もあるだろう。企画やショウの出来がよかったのか・悪かったを見直す必要も当然あろう。

 それがブラジル・リオデジャネイロに続いて、日本・東京でオリンピック・パラリンピックを開催する開催国・開催地のミッションとして必要となるだろう。





<安倍マリオの対する反応で注目されたつぶやきの例>

佐藤圭東京新聞記者
「まさかのアベマリオ」安倍首相、マリオの格好で土管から出現 リオオリンピック閉会式 http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/21/rio-mario_n_11646846.html … 「東京からリオへワープ」ということですが、私はメルトスルーを想起した。原発事故で高温の核燃料が地中にのめりこみ、地球の裏側へ…リオ・シンドローム!

佐藤優莉朝日新聞記者
安倍マリオを見た時の「うゎ…」という違和感を一番的確に表してくれているのはこの記事だな…。 日本の恥! リオ五輪閉会式で安倍首相がアスリートをさしおいて政治宣伝…背後に官邸と組織委のグロテスクな思惑 http://lite-ra.com/2016/08/post-2515.html … via @litera_web





【NHKリオ】2020へ期待高まる!トーキョーショー 



<記事>
「まさかのアベマリオ」安倍首相、マリオの格好で土管から出現 リオオリンピック閉会式(huffingtonpost)

日本の恥! リオ五輪閉会式で安倍首相がアスリートをさしおいて政治宣伝…背後に官邸と組織委のグロテスクな思惑(リテラ)

閉会式の東京パフォーマンスにまたも左翼メディアがかみついた…朝日記者「安倍マリオに違和感」東京記者「メルトスルー想起」(産經新聞)

安倍マリオ」露骨な政治利用 理念なき五輪の狂騒(東京新聞)

牧太郎の青い空白い雲
/585 「安倍マリオ」は詐欺師?の口上「いまだ道半ば」発言をやめろ!(サンデー毎日)

リオの演出は総額12億円(共同通信)

小池都知事、改革本部設置を表明(共同通信)

舛添氏が辞職願=21日付、政治資金流用で引責-都議会の不信任前に(時事通信)

小池知事、都に迫る 五輪施設費「再度の検証」(日本経済新聞)


2016年8月2日(火)
小池百合子新都知事。初登庁。就任記者会見。
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/governor/governor/kishakaiken/2016/08/02.html

2016年8月28日日曜日

蓮舫議員が感じたことと報道が伝えた間には

 今月の23日、蓮舫さんが日本外国特派員協会で記者会見をおこなった。民進党代表選に向けた決意表明の中で、民進党の代表になったら、それ以前との違いがあるものにしたいと最後にユーモアを交えて結んだ言葉がメディアに取りあげられる機会が多かった。

 記者会見の場で、蓮舫さんは次のように結んでいる。
「ここが大事なのでぜひ編集しないでいただきたいのですが、私は岡田克也代表が大好きです。ただ、1年半一緒にいて、本当につまらない男だと思います」。
そして、こう続けた。「人間はユニークが大事です。私にはそれがあると思います」。
その言葉で会場では居合わせた者の笑いを誘った。

 岡田さんを個人的に知らなくたって、いろいろなメディアを通して岡田さんを知っていれば、堅物のイメージがあり、笑いを積極的にとりにいこうとするようなことはしないだろうって、誰だってそういったイメージを岡田さんに持っていることでしょう。だから、蓮舫さんの結びの言葉が笑いを誘うことにもなったのでしょう。

 しかし、なんか違和感が残る。この言葉は決意表明というより、決意表明の結びにユーモアを交えて、今の民進党と現岡田代表と私が代表になったらと、その時の民進党の違いを強調する結果となっている。

 自分のツイッターで、岡田代表への敬意を表しましたとつぶやいている。つまり、自分で告白している通り、岡田代表のこと、蓮舫さんはどう思っているのかなっていうような違和感も残るでしょう。「私は岡田代表が大好きです」と断った後に、続く言葉が、「ただ」という順接ではなく次に接続する言葉を選び、「…、本当につまらない男だと思います」と続けたわけです。

 「人間にはユーニークが大事です。私にはそれがあると思います」とさらに続けた。誰だって、人間にはユニークが必要だろうということに共感するわけですが、岡田さんにはそれはなくて、私にはあるって読める。

 確かに岡田さんは堅物なイメージがあります。蓮舫さんの記者会見での結びの言葉には、蓮舫さんの言葉でいえば、「ユニーク」さもあるでしょう。しかし、その言葉は、ただ「ユニーク」だけで流れていかない意味を読み取ることが出来る。メディアやネットでいろんな人がこの発言を話題にしましたが、それは、私の言葉でいえばこういった「違和感」の表れではないでしょうか。


 蓮舫さんとしては、最後にユーモアを交えていったことばかりが注目されないで、記者会見で話した政策的なことにももっと注目してほしかったかもしれません。

蓮舫さんは、記者会見の後、自身のTwitterで次のようにつぶやいている。

外国人特派員協会で講演する機会をいただきました。限られた税金の再分配を「人」へ。既得権益を守る産業政策などの見直しをする行革を。私が優先したい政策を話してきました。




〈参考〉

日本外国特派員協会での蓮舫さんの記者会見
Renho:"Can Renho rebuild the Democratic Party?"
2016/08/23

蓮舫議員のTweet


<記事>
民進 蓮舫氏「党のイメージ思い切り変えていきたい」(NHK)

蓮舫氏「岡田代表が大好き。ただ、本当につまらない男」 民進党代表選に向け会見(huffingtonpost)


蓮舫代表代行「表現の自由、安倍晋三政権ではるかに後退した」(産經新聞)


「岡田氏はつまらない男」=蓮舫氏(時事通信)


【全文】蓮舫氏「脱・昭和で私が未来を作る」“批判しかできない民進党”の改革を宣言(ロイミー)



「この記事の元になった私のTwitterでのつぶやき」






2016年8月17日水曜日

SEALDsというグループが解散した

 SEALDs(シールズ)が8月15日にその活動を終えた。彼らの言葉は解散だった。学生が、SEALDsというグループを2015年5月に結成して、活動を続けてきた。SEALDsの前身は、SASPL(サスプル)というグループで、2013年12月に結成された。
 彼らは、これからはSEALDsとしてではなく、個人としておのおのの活動をしていくといっている。
 彼らの活動がどのようなもので、どんなことを主張してきたのかを知らなくても、テレビや新聞などに取りあげられることもあったことで彼らのグループ名を聞いたことがある人もいるだろう。そのことが示すのは、それほどのことがあったといえよう。
 彼らが一体何を成し遂げたのかといった側面で彼らの活動を評価しようとすると、彼らが何を主張して、どんな活動をしてきたのかを知らないと評価しにくいだろう。彼らが、研究者として研究を発表したわけでも、言論人として他の言論人と違う何かを主張したわけでもなかろうし、創作物をつくる作者としての卓越した固有性を有したわけでもなかろう。彼らはSEALDsというグループとして活動してきた。もちろん、それぞれ個人としてのおのおのの活動もその間あったことだろう。
 彼らは、社会的に注目される出来事になったのだ。彼らの言葉を引用すれば、彼らは「SEALDsというムーブメント」を引き起したということになる。その影響力がどのような影響を持ったかということを評価するのは難しいが、影響力を持ったことは間違いない。
 彼らのことと、彼らの活動を振り返った時に、じゃあ、彼ら、SEALDsの活動とは何だったんだろうということになろう。彼ら、そこに集った学生は、「民主主義ってなんだ」といって、路上に飛び出して、活動を発展させていった。
 率直にいえば、彼らの活動とは、彼らの民主主義体験だった。そう考えると、彼らのことが分かりやすくなろう。彼らの民主主義体験を通して、社会的に、政治的には評価を後に送るとしても、彼らが影響力を持った。彼らがおこした出来事とは、彼らの民主主義体験を通して、彼らの民主主義体験が影響力を持ったということだろう。



「民主主義って何だ?」「これだ」
というコールをSEALDsは国会前でしていた。

 この言葉を聞いて、彼らのいう民主主義とは、彼らがしているこのことをいうのかという謎が彼らをみるといつも私の心の中にあった。
 彼らを最初に見かけたのは、彼らが国会前でデモンストレーションをしている姿だった。私は国会前にいって、彼らの活動を直接見たわけではなく、ビデオ映像におさめられた彼らの姿だった。
 彼らがいう民主主義とは、彼らが国会前でする活動を示していっているのかと悩んだりもした。
 SEALDsの活動を見かける度に、これが彼らのいう民主主義なのかという言葉が私の中にはあった。
 その後、彼ら姿を国会前だけではなく見かけることになった。市民活動家の横にいる彼らの姿を見かけた。大学の研究者の横にいる彼らの姿を見かけた。そして、国会議員の横にいる彼らの姿を見かけた。いや、彼らの横に、そうしたいろんな人びとがいた。
 SEALDsの中心的なメンバーの一人といってもよいだろう、奥田愛基さんは参議院特別委員会の公聴会に公述人としてよばれ、意見陳述を求められた。
 彼らのグループ、SEALDsには、リーダーはいないそうだ。物事は合議的に決めてきたようだ。
 彼らの活動には、彼らが若いからの青臭さがあり、彼らが若いからの感性の鋭さがあったに違いない。彼らSEALDsの活動が発展していく度に、それを彼らより歳を重ねている我々は意識したのではないか。
 SEALDsの名前や彼らの活動を見かける度に、どこが新しいのかと考えた者はいないだろうか。彼らは、今までの市民活動の中に、新しい息吹を持ち込もうと企てたのだ。



〈参考〉

SEALDs

SEALDs KANSAI 解散記者会見 2016.8.13(IWJ)

SEALDs (自由と民主主義のための学生緊急行動)解散記者会見2016.8.16(IWJ)

市民発の政治「始まったばかり」 解散シールズ、自然体の言葉で(東京新聞)

SEALDs解散、選挙を変えたか 続く市民運動に期待(朝日新聞)

学生団体「SEALDs」が解散―安倍政権による改憲を防げるか?ボールは市民と野党の側に(志葉玲)


この記事の元となったつぶやき




2016年8月9日火曜日

夏祭りの季節



 私がまだ幼いとき、私にとっての祭を思い出すと、神社や寺でおこなわれる縁日や歴史のある商店街でおこなわれるイベントだった。まだ幼かった私にとっては、祭は、出店が出て、人がおのおの祭に訪れて、楽しむものであるという認識だった。子ども時分の私は、友達と祭にいくと、出店の水飴を食べたり、金魚すくいをしたりして、祭の時をすごした。御神輿を担いだりもした。大学生の頃まで、神輿を担ぐ機会を持った。子供の時の神輿の思い出といえば、肩が痛くなることと、神輿を担いでいろんなところを練り歩くが、途中、途中で寄った軒先でジュースや食べ物が振る舞われ、それを食べたことだ。それが楽しかった。

 先日(8月6日)は、地域の祭によってきた。祭の中心の場は神社や寺の境内ではなく、自治会館の広場がその場所となっている。私の子供の時の祭と変わりなく、出店が出ている。出店では、子供から大人まで、お目当てのものを買い求めている。地域のおじさん、おばさん、お兄さんやお姉さんがビールを片手に会話を楽しんでいる。子供たちが走り回っている。お母さんが大変そうだ。舞台が用意され、いろいろな余興がおこなわれている。それを見て楽しんでいる人びともいる。私の子供の時と変わりない祭の姿がそこにある。

 柳田國男は『祭のさまざま』で祭について話している。柳田は全国の祭についてすべて同じだったといっている。柳田は田舎から都会に出てきた。柳田にとって、今、住む地域は、故郷とは違う都会だった。当時、故郷を離れた者にとって、今、住む地域の祭に出逢うことが少なかったようだ。今は、いろんなイベントがあるから、当時とは違うだろう。町おこしが地域にとって重要な課題となっている。興味があれば、そういったイベントに行けば、祭気分を楽しむことが出来る。しかし、柳田が生きた時代のように、むしろそれ以上に、自分が住む所に最も近い場所の祭に出会う機会が少ない人も少なくないのではないか。

 戦後日本が荒廃から立ち直り、高度経済成長を実現して、先進国となり、そして現在に続く中で、世帯の変化があった。そうした変化とも無関係ではあるまい。

 自分の住む地域に近隣に夏であれば、花火大会や大きな祭やイベントがあれば、もちろん、それらに出会う機会は関心や興味があればたくさんある。情報化が発展した時代に生きているのである。


 私の両親は、祭の時期には、近所の祭の様子を見にいく。去年は、母と祭の様子を見にいった。今年は、両親とはいけなかったが、夕暮れに様子を見にいった。去年と同じように、かき氷と焼きそばを買い求め、食べた。